2007年3月26日月曜日

白山市鳥越村、数瀬集落、阿手集落

この集落は、大日高原スキー場の麓にあり、民宿などが現在あるようですが、白山市による大日高原スキー場の廃止が決まり、この集落も住民が住まなくなるのも時間の問題です。現在、空き家になった民家が多く、朽ちて倒れている家もあり、数軒だけが残っています。「燃料用の焚き木を割るおじいちゃん」昭和30年代頃位までは何処でも拝見できた懐かしい風景です。

白山市鳥越村、野池集落跡

野池集落跡、現在はたまに元住民が休みの日に来て小さな農園を手入れしたり、元住居を見に来るぐらいです。水道はまだ来ているようです。買い物、学校の便が悪く、湿気が多いなどの理由から金沢市、白山市中心部に移転した。

白山市鳥越村、五十谷集落跡

天然記念物、五十谷の大杉、樹齢1200年、周囲9m近い大杉が神社横にあります。「冬季には雪が2~3mとなり、梅雨時期には湿気が多く山間であるので昼間の日照時間が少なく住みにくい」と元住民が話してくれました。この集落跡には元住民が休みの日に見廻りに来る程度です。屋敷跡に農園をしている人もいました。 。【何百年も、人間が生活してきた里山をこのように廃墟にして良い物でしょうか?残念だし、疑問が残ります】

旧、林村・林小学校跡

林村小学校跡
送信者 林村小学校跡
昭和の大合併(S29/11/1)で鶴来町と合併、その後学校編成により明光小学校が新しく完成し、廃校となった。林村時代の小学校が現在も残されており、木造校舎も残っています。二宮尊徳の像も当時のままあります。写真参照

蔵山村役場跡

蔵山村役場跡、現在白山市日御子町
送信者 蔵山村役場跡、現在白山市日御子町
昭和の大合併(S,29/11/1)で、鶴来町に合併そして平成の合併で白山市に、昭和の大合併までの蔵山村役場(木造)が現在も残っています。北陸鉄道鶴来線(小柳駅)、写真参照。

2007年3月24日土曜日

白山市河内町金間集落

白山市金間集落学校跡
金間集落は現在、2軒ほどしか民家がない。かつてはかなりの世帯数だったという、学校跡に碑がありかなりの人口だったことを伺わせる。炭焼き職人がこの村にも多く住んでいたが、炭焼きでは生活ができなくなり多くの住民が、北海道などに開拓団として転居したそうです。
送信者 白山市金間集落
学校跡には、鉄棒が今も残っていました。 背景は金間集落。

2007年3月22日木曜日

白山市河内町下折集落

白山市下折集落
白山市河内町下折集落は、2~3軒の民家はあるようだがこの民家も定住しているようすはない。かつての住民(出身者)が時々帰ってきて見廻りをしているようです。明治、大正、昭和初期にかけては炭焼き職人が多くすんでいたと言う。今にも崩れそうな寺小屋には、昭和29年~31年代の小学生の教科書が散乱していた。冬には雪が深く学校に行けないので寺小屋で勉強したと言う(集落出身者の話)、黒板には「内尾中学校下折分校」の文字がしっかり残っており当時が偲ばれます。今にも崩れ落ちそうな空家、崩れて雪の下に埋まっている、家、引越しする時に自分の屋敷に杉を植えて行ったのであろう!その杉がかなり大きく育っています。エネルギーが木炭から、石炭へとそして石油へと大きく変わって行く中で、この山の中で炭焼きでは生活できなくなったのでしょう。北海道へ開拓団として集団移転した人もたくさんいるそうです。(集落出身者の話)
送信者 白山市下折集落
今にも崩れ落ちそうな寺小屋には昭和29年~31年代の教科書が散乱していた。